能力厨やめろ

こんばんは。
あなたも私も、今日もいい日だったね★

能力厨やめた

昨日のブログをなんとなく書いてから、考えた。
「絵のうまさで優劣を決める」能力厨 (能力にこだわること)
って、本当に正しいんだろうか?
 
 
ぐらついたのは、10年前くらいに
あきらかに下手なんだけど、とても魅力的な絵を
保存して、印刷して、幸せな気分になったことだ。

証拠に、いまだにどんな絵か記憶にある。
他の綺麗な絵より、強烈に。

もちろん画力がある人は才能があるし努力をしてるんだけど
そこにこだわるのが、最優先なのか?
画力の至らなさの正当化ではなくて、根本的に。

絵、というクリエイティブな分野を
デッサン力という狭いものさしで測るのは
もったいない気がしてきた。
 
 
ヘタウマ最強説、というのがある。
ヘタだけど、強烈に光るものがある絵は
上手で光るものがある人より強い、というもの。

どうなのって思ったけど、
絵の本来の目的として、画力というのは
余計な情報なのかもしれないな。
 
 
とはいえ、職人気質な日本人、
それだけコツコツと向上してきたというのは、カッコいい。

そういうのが報われたい、というのは
現在の世界のトレンドに合わないとは
再三言われてきていて

認めたくない。
努力が無駄なんてね。
 
 

でもね

昨日「画力が最優先でないかもしれない」
と思うようになって

思うように描けない苦しみから抜けて
気軽に絵が描けるようになったかな。

しがらみが一つ取れた。

努力が無駄なんて

努力が報われないと、恨むようになるから
見返りを求めず、好きなことをやれという意見がある。

成功者の言い分だな、と斜に構えちゃうけど。。
 
 
確かに、
尋常じゃない努力をしたのに、報われないと
やさぐれちゃう。

にも関わらず
努力をしないと、生き残っていけない。
 
 
ほんとになー、現実って一筋縄でいかないなー。

苦しんでないと、後ろめたい。
この姿勢はどうなのと、自分でも思う。
まわりにも苦しみを強制する、うざいかんじに。

苦しみのない人生は、
死ぬとき残るものがないんじゃないかと不安になるけど
やむおえない苦しみは絶対起こるんだから
避けられる苦しみは避けた方がいいんだろうな。
 

ラクしよう

 
ラクしよう、という言葉に賛同できないのは
人間がだめになるという危機感による。

本当にだめになったというのは、
やりたいことがなくなることか。

求められる能力なんて変わっていくしね。
やりたいことがあるうちは、大丈夫かな。

あとがき

自分の深い内面の観察をしてるんだけど
深い欲望って、その時々で変わるね。

「絵を描きたいと思ってるか」
という原始的な望みすら、
その時々で変わる。

今は、すごく絵を描きたいな。
来週の月曜にOPENしたいサイトのイラストを
2枚だけ描く、というのが連休の目標。

やりますか!
やったら絶対幸せになるのに
おっくうでやらないのね。

言わせて

金曜の深夜は、結局ラジオを1時までつけてて
山ちゃんのラジアンをさわりだけ聴いてる。

昨日の、一発目のオンエアは
布団の中で声出して笑ったw


 

ご清読、あざす★